大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(や)1号 決定 1983年1月18日

請求人 川本輝雄

代理人 後藤孝典 外四名

主文

本件請求を棄却する。

理由

本件請求の趣旨は、「請求人に対し金六二七万九、九四〇円を交付する。」との裁判を求めるというのであるが、その理由として述べるところの要旨は概ね以下のとおりである。すなわち、請求人は、傷害被告事件(東京地方裁判所昭和四七年刑(わ)第七三四五号、東京高等裁判所昭和五〇年(う)第四六〇号、最高裁判所昭和五二年(あ)第一三五三号)の被告人であつた者であるが、昭和五二年六月一四日東京高等裁判所において公訴棄却の判決を受け、同判決は検察官の上告が棄却されたことにより昭和五五年一二月二〇日確定した。ところで、刑訴法一八八条の二第一項本文は、「無罪の判決が確定したときは、国は、当該事件の被告人であつた者に対し、その裁判に要した費用の補償をする。」と規定し、費用補償を請求できるのは「無罪の判決が確定したとき」とされているけれども、そもそも刑訴法一八八条の二以下に規定されている費用補償制度の趣旨は、要するに、結果的にその者が不当な公訴の提起を受けたことが確定した場合にはその者が応訴を余儀なくされたことによつて生じた財産上の損害を国で補償することとするのが公平の精神に合致するということにあるのであるから、かかる制度の趣旨に照らすと、費用補償の要件を単に無罪の場合のみに厳格に限定して解釈すべきではなく、公平の見地から実質的に無罪と同視できる場合には可能な限り補償を認めるように解するのが相当である。ところで、本件は公訴棄却の判決によつて終局した事案ではあるけれども、請求人は検察官の不当な公訴提起により応訴を余儀なくされ、実体審理を尽くしたうえで公訴権濫用による公訴棄却の判決が確定したものであるから、前記費用補償制度の趣旨に照らして、本件の事案は費用の補償については無罪と同視されて然るべきものと考える。もつとも、右制度に関する立法時の政府関係者の説明によると、無罪の裁判を受けた場合に限つて補償することにしたものであつて、免訴あるいは公訴棄却の裁判等で事件が終了した場合については補償は行われない(第七七回国会衆議院法務委員会議録第七号参照)というのであるが、その理由とするところは、免訴あるいは公訴棄却の場合には補償を行うのが相当でない場合があること、また、刑事補償法二五条と同一の要件すなわち「もし免訴又は公訴棄却の裁判をすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な事由があるとき」という要件で補償するとした場合、実体審理をせずにいわば門前払で訴訟が終了したのに、費用補償をするか否かの目的のためだけに改めて有罪か無罪かの実体審理を決定手続ですることは適当でないことにあるというのであつて、本件の如く、実体審理を尽くしたうえでの公訴棄却がありうることなど全く想定されていなかつたことが明らかである。ところが本件の場合は改めて決定手続において実体審理を行うという不都合はないのであるから、このような場合についてまで費用の補償をしないというのが立法の趣旨であるとは解せられない。また、本件上告審決定は、検察官の上告を棄却しながら、その理由中において原審の公訴棄却判決は失当であると述べる部分もあるが、結論において原審の公訴棄却判決を維持してこれを確定させているのであつて、実体審理を尽くした末に結局有罪にならなかつたという事実に変わりはないのであるから、上告審決定の理由中の右の部分は、直ちに費用補償を否定する理由にはなりえないものというべきである。そして、請求人が本件審理に要した費用は、別紙(一)の計算書に、その内訳は別紙(二)ないし(五)にそれぞれ記載したとおりであつて、その合計は金六二七万九、九四〇円であるから、請求人に対し右金員を交付するとの裁判を求める、というのである。

よつて考察するのに、刑訴法一八八条の二から一八八条の七までの六か条の規定からなる同法第一編第一六章の費用補償の制度は、昭和五一年法律第二三号による刑訴法の一部改正法律によつて新たに加えられたものであるが、右一連の規定中国が費用を補償する場合の要件を定めた同法一八八条の二第一項本文には、「無罪の判決が確定したときは、国は、当該事件の被告人であつた者に対し、その裁判に要した費用の補償をする。」とあり、従つて、右の制度によつて費用補償が認められるのは、無罪の判決が確定した場合であることは、右法文の文理及び費用補償に関する右関係規定中には、刑事補償法二五条のような、免訴や公訴棄却の裁判をすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な事由があるときは補償を請求できる旨の規定が置かれていないことに照らして明らかというべきである。それ故、本件の事案のように公訴棄却の判決が確定した場合は費用補償の対象には該らないといわなければならない。もつとも、これに対して、所論は、本件の事案が無罪判決の確定した場合ではなく、公訴棄却の判決が確定した場合であることは事実であるけれども、右判決は実体審理を尽くしたうえでなされたものであつて、実体審理をしないで公訴棄却の判決がなされた場合とは異なり、費用補償の目的のために改めて有罪か無罪かを究明する実体審理を行う必要はないのであり、しかも、右公訴棄却の判決が公訴権の濫用を理由とするものであることを考え合わせれば尚更、本件の事案については、制度の趣旨に従い、無罪の判決が確定した場合に準じて費用補償の対象となると解すべきである、と主張するのであるが、凡そ費用補償の制度を設けるか否かは、憲法に根拠規定を有する抑留、拘禁に対する刑事補償の場合とは異なり、費用補償の制度を設けた場合の補償の範囲とともに、全く立法の裁量に委ねられている事項であり、かつ、右関係法律に関する国会審議の経過に徴しても、これらの法律は無罪の裁判が確定した場合に限つて補償することにし、免訴や公訴棄却の裁判等で事件が終了した場合については、一律に補償は行わない趣旨で制定されたものであつて、このように免訴や公訴棄却の裁判等で事件が終了した場合を費用補償の対象に含めなかつた事情については、これらの場合には事件の実体について審理をしないで判決がなされるのが通常であり、補償するたしないかを決める目的だけのために、しかも決定手続によつて、有罪か無罪かを究明すべく更に実体審理を行うことは技術的にも大変困難であり、また、適当でもないと考えられたため、結局免訴や公訴棄却の裁判等で事件が終局した場合はすべて費用補償の対象としないという趣旨で制定されたものであることが認められるのであつて、たとえ本件の事案については、所論のいうように、既に実体審理が尽くされていて、有罪か無罪かを究明するために更に実体審理を行う必要がなく、かつ、公訴権濫用を理由として公訴棄却の判決がなされたものであつても、公訴棄却の判決の確定により終局した事案である以上、刑訴法一八八条の二以下の規定する費用補償の対象には含まれないと解せざるをえない。それ故、本件請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。

よつて、刑訴法一八八条の七、刑事補償法一六条後段により本件請求を棄却することとして、主文のとおり決定をする。

(裁判長裁判官 四ツ谷巖 裁判官 高橋省吾 裁判官 仙波厚)

別紙(一) 計算書

一、 請求人分            対象表

1 旅費  金  七〇四、二四〇円 い、 に

2 宿泊料 金  三五六、四〇〇円   は

3 日当  金  四六五、六〇〇円 は、 に

合計     金一、五二六、二四〇円

二、 弁護人分

1 旅費  金   八四、〇〇〇円    に

2 宿泊料 金   七一、二〇〇円    に

3 日当  金  五九八、五〇〇円  ろ、に

4 報酬(但、謄写料含)金四、〇〇〇、〇〇〇円

合計     金四、七五三、七〇〇円

三、 総合計 金六、二七九、九四〇円

別紙(二) 請求人の請求する旅費(対象表い)<省略>

別紙(三) 弁護人の請求する日当(対象表ろ)<省略>

別紙(四) 請求人の請求する日当及び宿泊(対象表は)<省略>

別紙(五) 出張尋問に関する交通費及び日当(対象表に)<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例